私の歯のカルテ

私は1982年産まれです。歯に関するエピソードを色々と思い出して書き連ねてみます。

1988年頃…乳歯がむし歯で痛くて近くの歯科医院に父と一緒に行き、なかなか酷い処置を受ける。この時から歯科医院を蛇蝎の如く嫌うようになる。

1990年頃…なかなか抜けなかった乳歯が祖父の家でハンバーグを食べている時に取れた記憶がある。それ以降、抜けない乳歯が出てくると好んでハンバーグを食べるようになる。

1991-1992年頃…歯肉のムズムズが気になってはよく歯肉を押さえていた記憶がある。なぜか毎回下校中。それもなぜか毎回歩道橋の上で。今思えばただの歯肉炎。

1995年…クラスメイトにいきなり顎を殴られて口が開かなくなる。親に相談するもお金が無いと言われ経過観察。1997年頃には快癒。今思えば顎関節症。そのクラスメイトはもちろんボコボコにしましたが、後に和解。

1996-2001年…歯に関して特に不満は無かったが、学校歯科検診でパーテーション裏に呼ばれて歯科衛生士に毎年のように個別に指導を受ける。好きな女子にだけは見られたくない!と思った記憶が鮮明。歯よりハートが痛かった。

2002年…右下の奥歯が歯髄炎(むし歯が神経に達する疾患)になる。これが歯の痛みか、、!!と思った記憶がある。生まれて初めて真面目に歯科医院に通い、神経を抜く処置を受ける。

2004年…引っ越しの最中に奥歯が痛くなる。今思えば智歯周囲炎。いわゆる親知らずの痛み。歯か歯ぐきかわからない痛みとはまさにこのこと。親知らずは疲れていると痛くなるんだなと学ぶ。

2007年…左上の親知らずが欠ける。食べ物が入り込むと激痛が走る体験を味わう。同級生に抜歯してもらい、事なきを得る。

2008年…治療が終わるまで真面目に歯科医院に通う(何十回通ったかな?)。むし歯は全て治療してもらう。現在入っているゴールドはこの時に入れてもらったもの。

2010年…唯一残っていた銀歯の下に発生したむし歯を治療してもらう(大学病院で)。銀歯はむし歯が再発しやすいことを身をもって学ぶ。もちろんゴールドに変えてもらう。

2015年…知り合いが開業したので歯石を取ってもらうために受診。これが最後の歯科受診となる。

2016年…ゴールドが外れる。スタッフに付けてもらう。以降ガム、キャラメル、ぷっちょ、ハイチュウ、ミルキーは食べなくなる。餅だけは食べてしまう。

 謎記憶力が本日も役に立ってますが、なかなか酷い内容ですね。でも嘘偽りない事実なんです。誇張はほぼありません。

 患者さんには定期的に歯科医院を受診しましょうと言ってる割には私はもう10年ほど歯科医院から遠退いています。毎日行ってはいるんですけどね。行ってるだけです。身も蓋もない事を言うと歯科医院が怖いんです。全ては1988年の治療が原体験になっています。
なので、患者さんを見ていると歯科医院にちゃんと来るだけですごく偉いなぁと思ってしまいます。これは本心です。

 今日、処置した歯がすごく沁みて痛そうな患者さんを診ました。良かれと思って処置した歯が逆に沁みて痛みを感じさせてしまう。大変に心が痛みます。もちろん痛み自体は一時的で症状はこれから落ち着いていくと思うのですが、それでも患者さんに辛い思いをさせてしまったのは事実。やや特殊なケースだったということもありますが、この症例は終生忘れることはないでしょう。私だったら歯科医院から遠退いてしまうくらいの体験だったと思いますが、その患者さんはまた予約を取って帰られました。大変に有り難い。尊敬の念を禁じ得ません。

  歯科医なのに定期検診には行っていない。自己撞着してますね。上の通院歴を振り返ってみても、たまには自分が患者さんにならなきゃなと思います。自分の歯を守るというよりは、処置を受ける痛みを知っていた方がより患者さんの立場に寄り添えると思うので。そんな事を考えさせられた1日でした。

※少しだけ言い訳をすると、レントゲンや口腔内カメラは定期的に撮ってます。歯石も自分で(取れる範囲は)取ってます。1日に4〜5回は歯を磨きます。フロスをしない日はありません。将来のことを考えて全てゴールドで修復していますし、就寝時はマウスピースを使用して咬耗に対するリスクヘッジは行っています。そう考えると私はやや特殊な人間なのかもしれません。。

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP