ミッシングピース

 長崎の実家が解体されます。それに伴い実家では大規模な荷物の整理が行われているのですが、まあ色んな掘り出し物が出てきます。父と母が仲良かった頃の写真だったり、保育園の集合写真だったり、柔道の昇段証書だったり、高校3年生の時の模試の結果だったり。とにかく出てくる物全てが懐かしい。

  小学校の通知表も出てきました。これはなかなか興味深い。当時私はどう評価されていたのか。2年生〜6年生のはすぐに出てきたのですがどうしても1年生のだけが見つかりません。修学旅行のしおりだったり同級生からの年賀状だったり当時コレクションしていたJリーグのカード(サッカー興味ないのになんで集めてたんだ…)だったりプライオリティが低い物はすぐ見つかるのですが、どうしても1番見たい1年生の通知表だけが見つからない。当時の担任の先生は嘉松弘一郎先生。学校イチのイケメンで達筆で筋肉質で歌が上手くてフルートまで吹ける謎にスペックが高い人気者の先生でした。対照的に私はベリーシャイで勉強も大して出来ない無口で陰キャな生徒。嘉松先生は当時の私のことをどう思っていたのか。実家に帰る度に探すのですがやはり無いものは無い。大昔の物だから流石に無いか、、と諦めていたのですが、つい先日、見つかったと実家にいる母から報が入り、本日段ボール箱が送られてきました。中を開けると、なんと!平成元年度1年4組の通知表!!34年ぶりのご対面です。

(よくやった、、オカン、、!!)
太陽の光を克服した禰󠄀豆子を発見した時の無惨様状態です。

さっそく中を見てみました。

「林くん(私の当時の名字)は誰とでも仲良く出来て男の友達から好かれています。ただ、人の話を聞いているのかなと思う時が多々あります。」

7歳の頃と変わってない笑

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