あまり人に話したことはないのですが、プロレスは好きなのです。アントニオ猪木の試合をTV観戦していた世代ではないのですが、彼の死はなかなかのショックでした。実際に本人を生で見ることは終に叶わなかったのですが、高校の時はレスラー見たさにプロレスの会場に足を運んでましたし、プロレスの本はとにかく買い漁って読んでましたし、レスラーにサインをもらって集めていた時期もありましたし、知識はまあまあある方だと自負しております。
そもそもなぜプロレスを好きになったのか。
記憶をたどっていくと、深夜にTV放送していたプロレスの試合を何となく観てたのが始まりでしたね。中学3年生の時だったと記憶してます。
当時日曜日の深夜0:40頃から始まるのが全日本プロレス、その30分後くらいから新日本プロレスが放送されてました。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木くらいは知ってたので、どうやら馬場が作ったのが全日本プロレス、猪木が作ったのが新日本プロレスなのか。当時はインターネットが今ほど普及していなかったので週に一度のTV放送を通じて少しずつ学んでいきました。
先に放送が始まる全日本プロレスをまず観てその後に新日本プロレスを観るという流れは必然でした。
なんとなく新日本プロレスの方が派手だな、色んな選手がいるし観てて面白い。何もかもが地味な全日本プロレスと、バラエティに富んだ新日本プロレスは対称的でした。高校の頃はレスラーみたいな体になりたくて筋トレもしてましたしプロテインも飲んでました。今も横のマツキヨでたまに買っては飲んでいますが。
プラージュデンタルクリニックの廊下の奥は院長室なのですが、実際は業務用のベンチプレスが1台と椅子を2つ並べただけのスクワットのラック、バーベルが1本とダンベルがいくつか転がってるだけの筋トレルームです。全てマシンではなくフリーウェイトなので下手したら死にます。先生死なないでくださいねと業者さんに言われた時はハッとさせられました。普通院長室って机があって本棚があって賢そうな書籍が並んでいて、スタッフが緊張しながらコンコンってノックしてたまに入るようなイメージですよね。どれも当てはまらない、、
アントニオ猪木が創設した新日本プロレスなくして私の青春時代、ましてや今の私の生活スタイルはなかっただろうと思います。
死せる猪木、生けるプロレスファンを走らす
1.2.3黙祷。
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